日報

再開

 前の更新からしばらく空いてしまった。原因ははっきりしていて、やる夫スレ紹介で頑張りすぎてしまったからだ。

 ブログの書き方を指南しているブログをざっくり読むと、どこも「役に立つ文章を書け」ということを書いている。これを分解していくと「日記ではなく」「コンスタントに更新し」「一定の分量があり」……という話になるのだが、要はそういうことだ。

 スレ紹介は自分が好きなトピックだということもあったし、それを体系立ててわかり易く紹介するために、そうした「役に立つ」ブログの書き方を試してみたのだが、これは非常に疲れる作業だった(もちろん充実してもいたが)。

 で、それをコンスタントにこなすということを考えると、恐ろしい気分になった。トピック探しも大変だし、なんとなく「いいな!」と思っているものを丁寧に言語化しなければならないし、可処分時間をガッツリ持っていかれるし、これを毎日続けるのは無理だ! と思った。

 その結果がこれだ。最終更新は7月8日、二週間以上も間が空いてしまった。実力不足がまずあるが、「できるだけ毎日書く」という目標と「好きなことについて具体的に語る」という目標の両立は、今の僕には持続できそうにない。

 それで腰が引けてしまって全然ブログを書けない、というのは、個人的には最悪の流れだ。もともと「文字制限のないツイッター」くらいの気持ちで始めたブログなので、ブログを持っていることで書くことそのものから遠ざかってしまうのは本末転倒である。

 そういうわけで、今後は初心に立ち戻って(失うのが早すぎるのだが)、もっといい加減にいい加減なことを書いていくことにしたい。

オリンピックが始まった

 オリンピックが始まった。始まるまではガタガタだったし、そのことで結構不快な思いをしたりもしたが、結局始まってみると「結構いいね!」という側の人間になってしまった。まあ、単純に頑張っている選手たちの姿にケチをつけるのは理屈的にも心情的にも難しい話で、こうなるのも道理かも知れない。

 今回の件でいくつか衝撃を受けていることがあるので、自分の心の整理がてら、箇条書きにしてみたいと思う。

・結構いいね! という人間になった

・昔の悪事が暴かれて辞める関係者が結構いた

・それでも大会は結構いいね! と言える程度のものになった

・医者の言うことを誰も聞かなかった

・聖火リレーの前にスポンサーの街宣車が走っていた

 こんな感じか。最初のやつはもう書いた。今日は二つ目のやつの話をしよう。これは開会式の直前に何人か辞めた人がいた件で、かなり息苦しさを感じた。

 悪事自体は吐き気のするものだったのだが(自慢げに教師いじめを書いた文章には本当に不快にさせられた)、問題は灰皿にテキーラを入れて飲ませようとした人は開会式に出てこられたのに辞めさせられた人たちの悪事はアウトなのかとか、過去ホロコーストについて取りあげたネタを作った人はアウトなのに隣国が現在進行形でやってる人種政策はセーフなのかとか、そういうことである。

 個々の問題がどうこうということではなくて、筋の通らなさと言うか、間違いは許されないのに正解はどこにもない感じというか、その辺にどうにも嫌な感じだなあという感想を持った。

以上、終わり。これではまるで社会派ブログだ。