カフェインを抜く
カフェインを抜いている。僕はかなりカフェインを抜くことが得意なので、これまでに10回以上のカフェイン断ちに成功しているという実績がある。今回はカフェイン断ちについて書こうと思う。
集中する時にカフェインを頼りにするようになったのが何時頃なのか、もう全然覚えていない。実家にいた頃は朝食、おやつ、食後等、何かというと紅茶やらコーヒーやらを飲む生活をしていたし、大学に上がった当初は毎日コーヒーを一杯やってから講義に行っていた。
当時は四六時中カフェインに事欠かない生活をしていたので、逆にその存在をかんじることはなかったのだが、大学に上がってからしばらく、コーヒーを飲むとどうにも眠れないようだ、ということがわかってきた。
何故そのタイミングで自覚症状が出たのかはわからない。一人暮らしを始めて生活リズムが乱れて以降、神経症傾向が高まったので、その辺りが悪い噛み合い方をしたのかも知れない。
とにかく、それでカフェインの入ったものには気をつけるようになった。と言えればいいのだが、結局はカフェインを摂る時期と摂らない時期が交互に来るような状況が続いている。正確には、「カフェインを摂りすぎる時期(つらい)→カフェインを抜く時期(つらい)→カフェインが抜けている時期(つらくない)→カフェインをちょっと摂る時期(楽しい)→最初に戻る」のローテーションを繰り返している。
カフェインを摂りすぎている時期、これはつらい。不眠になるし、体が全然休まらない感じがある。カフェインを抜く時期、これもつらい。離脱症状がヤバイくらい出る。眠気が止まらず、頭が痛い。やる気も出ない。これを乗り越えると、かなりよく眠れる時期が少しだけある。
今はちょうどカフェインが抜けている時期に該当する。この期間はかなり落ち着いている。カフェインが入っている期間は結構感情の起伏が大きくなりがちなのだがそれもなく、長い間べたっとした平常心が続く。
しかし、この時期は何にも起こらないのだ。バアッとしたやる気も起こらないし、文章にもいまいちキレが出ない気がする。物事についてもな〜んにも思わなくなってしまって、人生についての危機感も薄れる(転職活動が捗らない)。
なので、いずれまたカフェインに手を出してしまうんだろうなあ。いろんなものの中毒患者と全く変わらない。禁酒や禁薬に成功しても、また手を出してしまう人たちのことがよくわかる。あんなに離脱症状に苦しんだのに(そしてまた苦しむことがわかっているのに)、「今度はコントロールしながらカフェイン生活すればいいんだし……」と思いながら、またコーヒーを頼んでしまうのだと思う。
アル中だった祖父はチェーンドランカーだった当時に意識を失って運ばれ、入院したことがある。内臓の一部を減らし、薬の種類を増やして帰ってきた祖父は、それ以来10年以上、一滴も酒を飲んでいない。恐らく祖父は、本気で三途の川を見たのだろう。
それでも話を聞いてみると、「死ぬことが決まったらビールを要求する」と言っている。禁酒には成功したものの、酒への気持ちが断たれたわけではないのだ。
中毒性のあるものを全く断つということは本当に難しい。難しいし……難しいなあ! というお話。
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