テレビ考
恐ろしいことに9月になってしまった。最近はエアコンをつけていると寒いし、といって消すと暑いので、どうもやりにくい時期になっている。気候の話とは全然関係ないが、今日はテレビについて書きたい。
近頃、テレビ……というか、テレビに出ている人たちが作るコンテンツについて「思ったより偉いんじゃないか」と考えるようになった。
僕はあまりテレビをみない。近頃「偉いんじゃないか」と考えている番組はバラエティとかお笑い番組とかを指しているのだが、これらを付けていると親の機嫌が悪くなる! という印象が今でもある。今となっては一人暮らしなので何にも関係ないのだが、要するにそういう環境に長いこといたから、テレビをみる習慣が身につかなかったのだ(反面、子供の頃特に抑圧されなかったパソコンいじりについては、依存レベルで体に染みついている)。
それは今もそうなのだが、近頃はオードリーのラジオと日向坂46にハマったせいで、少しずつテレビコンテンツに触れるようになってきた(配信サービスを使うとパソコンの前から動かずに済んでしまうので、結局テレビはつけていないのだが)。
で、それで気づいたのが「テレビ、結構面白いじゃん!」ということであった。どうもこの10年くらいでテレビ番組を作る人たちの環境も随分変わったようなのだが、それを抜きにしてもかなり面白がれている。
なぜか? どうもいくつか理由がありそうなので、以下にまとめてみる。
・オードリー、日向坂46という明確な推しがいる。
・推しと共演、または推しが言及したタレントについて“知っている”状態で番組を見られる。
・上のため、初見のタレントについての知識を身につけやすくなっている。
・配信サービスのおかげで場所や時間の制約なく番組を見られるようになった。
・一人暮らしなので見たい番組だけが見られる(チャンネル権争いがない)。
・配信者の台頭によって比較対象が増えた(ちゃんとしていることがわかるようになった)。
こんな感じだろうか。こうして整理してみると、上から五つまではバラエティ番組を「面白いじゃん!」と思えている理由で、最後の一つは「テレビは偉いんじゃないか」思うようになった理由のようだ。
個人の配信を見ていると、ちゃんとしてないものがすーごくたくさんある。最近だと永遠に雨降りになってしまった芸人さんや、路上生活者について発言しちゃった人とか。組織に属していれば、どこかの段階で止めることができたんじゃないか、と感じられるものがゴロゴロしている(だからこそ、ちゃんとしている人たちは偉い! という話にもなるのだが)。
まあ、じゃあテレビが何から何までちゃんとしているのか? って言われればそれは絶対にあり得ない。番組の取捨選択が容易になったということは「これちゃんとしてねえな」って思ったテレビ番組をみないのが簡単になったということだし。情報番組がいー加減なことを言っているぞ、という話はしばしば聞こえてくる。
だけどまあ、組織があって歴史があるってことはそれだけノウハウ・資本・設備の蓄積があるってことで、テレビの持つそういうものたちはなかなか馬鹿にしたもんでもないのかな、と思うのである。最低なところも多いけど。
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