星野源の話

2022年8月25日

 久しぶりに星野源さんのエッセイ『よみがえる変態』を読んだ。これは星野さんがくも膜下出血で倒れるまでの期間と、そこからそれを克服するまでの期間に綴られたものだ。

 倒れるまでの期間、星野さんはめちゃくちゃに仕事を詰め込んで働いている。それに充実を感じてはいるが、ある日バッタリと倒れて緊急手術の運びとなる。これを読むまで全然星野さんの病気のことは知らなかったので、初めて読んだときは自分に「頑張れ頑張れ」と言いながらめちゃくちゃやる星野さんの働き方に「やべーな!」と思ったし、倒れた時には「マジ!? でもそりゃそーなるわ」と思った。

 しかし、今回読み返してみると、「間違いない!」と思って頑張れるものがあるというのは結構うらやましいことだな、と思った。昨日の日報でもちょろっと書いたが、今の筆者は完全に自分を見失って方針があっちこっちしているので。

 同時に、初読時は「頑張る星野さん」に引いていたな、ということに気づいて、少しゾッとした。くも膜下出血に至った、ということを知らない段階で既にそう思っていた。

 まず前提として、体を壊すまで頑張ること、頑張らせることを賛美するのは絶対におかしい。自分の意思で寝不足や飯抜きになったりする程度ならともかく(本当はそれもよくないと思う)、心身に不可逆の損傷を負うまで頑張る、これはよくない。ここは抑えましょう。

 しかし、同時に道を見つけて頑張ることの大事さも見落としてはならんのである。近頃は「頑張りすぎて心身を病んだ人」や「頑張りたい人を搾取する人」の情報を見すぎて、どうも目が曇ってしまっていたらしい。

 ただまあ、「これだ!」という道を見つけるのが難しいのだ。見つけたとしても、それに挑戦することがそもそもリスクを伴う(挑戦しなければ失敗することもない)。でも自分の目標をしっかり持って、それに向かって頑張る。これは尊いことだと思う(個人の感想です)。そこはやっぱり抑えておきたい。

 斜に構えて頑張っている人を笑う人たちのことを、逆にダサいと思って敬遠してきた。しかし知らず知らずのうちに自分も似たようなことをしてしまっていたらしい。こういうの、故事成語のエピソードとか世にも奇妙な物語とかで見たことがある気がする。

 歪まないことって難しい。