天衣無縫の極み

2022年8月11日

 小学生の頃、非常に仲良くしているYくんという友達がいた。休み時間の度に自由帳を開いて(それは無地のノートというより無地の書籍に近いもので、300枚以上のページがあった)、延々絵を描いているような男だった。描いているものはその時々で様々だったが、映画に出てくるメカや月光仮面(!)、魚、動物、恐竜などが中心だったと思う。

 絵が上手かった……というよりは、手先が器用だったのだろう。図工の授業でも何かと“らしい”ものを作っていた。いまだによく覚えているのは、一年生の時の課題である。

 その授業の始め、画用紙が全員に配られた。好きな色の絵具を使って好きな形を描くのが課題だった。僕は水色を中心にして歪んだ楕円形を描いたと思う。正直曖昧だが、この辺りまではみんな似たようなものを描いていたのではないだろうか。

 図形描きがひと段落した頃、教師がこう言った。「描いたものを生き物にしてみましょう」。

 要は図形にあれこれ描き加えて、オリジナルの生き物にしよう! という話だった。僕は青い楕円にちょっとずつ描き加えて、牙の生えた魚を描いた。ちょうどピラニアにはまっていたからだ。

それよりずっと前に行われた写生大会で、随分褒められていたこともあって(これは結構マジで、他所の先生が実験授業を見に来た時に声をかけてもらった)、僕は自分のことを、結構絵がうまい人だと思っていた。今回も結構上手に描けたと思った。

 出席番号の関係で、Yくんとはいつも席が離れていた。だからYくんの絵をちゃんと見たのは、その授業が終わってしばらく経ってからだ。

 Yくんの絵はすごかった。緑色の歪な丸に最低限の付け足しで、さそりめいたモンスターが生まれていた。言葉にするとすごく微妙な感じがするが、彼のそれは誰かの猿真似ではなくて、何もわからん状態で描いた図形から素直に創造されたものだという感じを受けた。

 僕は魚を描くのにけっこう図形に手を加えていたので「もったいなかったな〜」と思った。廊下に張り出されたYくんの絵を見て、「Yくんはすごい奴だな!」とも思った。

 この一見に限らず、Yくんは自分のやりたいこと、描きたいものを結構はっきりと持っていて、それをガンガン出力していく男だった。コピー用紙をホッチキスで止めて絵本を作ったり(思えばあれは同人誌の原型のようなものだった)、製図用紙に漫画を描いたり(彼の家にはなぜかそういう“普通の家にはないもの”がいっぱいあった)していた。

 僕もそれに乗っかって絵本を書いたり漫画を描いたりした。なんだかんだ僕も絵は下手な方ではなかったので、図工の課題が絵だった時は並んで廊下に飾られたこともある。移動教室のたびに僕らの絵が目に入って、あれは結構嬉しかった。

 僕は今でもちょこちょこと小説を書いたりしているが、思えばそのルーツはYくんと見せ合っていたあの小冊子や体裁も整っていない漫画にあるように思う……。

 さて、ブルーピリオドや左利きのエレンのような芸術系の物語なら、これがYくんと僕のオリジンエピソードになるところだが、これは現実の話なのでそういう展開はしなかった。Yくんは医者を目指して県外の私立中に進学し、もうずいぶん疎遠になっている(彼は別に表現特化型の人材ではなく、勉強も人並み以上にできた。それを実感したのはしばらく経ってからだったが)。成人式で顔を合わせたが、ちょっと写真を撮って思い出話をしたくらいで、二十歳当時に抱えるリアルを交流させることはなかった。現役医大生の彼は、僕よりもずいぶん大人に見えた。

 ただ、少なくとも小学生の頃のYくんは自分のやりたいことを何のてらいもなく出力して、自ら楽しむことのできる人間だった。テニスの王子様でいうところの、天衣無縫の極み……もちろんそれは、小学生の狭い世界だからこそ成立したものなのかも知れない。だが、あれは十二分に得難く、尊いものだったと思う。

 近頃何かと自分と他人を比べて凹むことが多く、不意にその頃のことを思い出したので、こうしてまとめてみた。

雑記自分語り

Posted by zuhuninja